衝動


コイツのスイッチはよく判らん、と思う。
大した科白じゃなかったはずだ、軽口の応酬、嫌みと皮肉。
自分ですら言った数秒後にはけろりと忘れた言葉だ。否、正確には忘れさせられたに近いか。驚きのあまりに。
いきなり口を噤んだかと思ったら有無を言わさず薄暗い路地裏なんぞに引っ張り込まれて、壁に叩きつけられるように押しつけられて口を塞がれた。
大した痛みが無かったのはこいつの両腕が腰と肩に回っていたからで、それでも地味な衝撃が身体を襲った。
乱暴に入り込んできた舌は好き勝手に動き回って、息苦しいばかりだ。
ぴり、と煙草の香りが舌を刺す。まるでシケモクを直接口に突っ込まれたような、ひどい苦み。
どんだけ吸ってんだよこいつは。
んなにソイツが好きならずっとくわえてやがれっての、と哀れにも地面に転がった、一瞬前まで男の口元にあった煙草を見やる。
まだ長いまんまだったってーのにあーあ、もったいねえ。公僕が煙草のポイ捨てなんてやって良いのか? つーか何で俺の口がおしゃぶり代わりにされなきゃなんねーんだよ。
口付けられている感触を何処か遠くに感じながら、妙に醒めた頭が悪態を並べる。
ぼんやりと自分を蹂躙している男に目を向けると、酷く余裕のない、その上いやにやつれた表情があった。

…いやね、判ってたよ?
真っ黒いからぱっと見はそうでもねぇが、上着もズボンもよれよれであちこち汚れてるし、 スカーフは垢じみて黄色くなってるし、髪はぼさぼさのくせして妙に落ち着いている。 油でてかってやんの。風呂も入ってねえのか。普段より数段ヤバイ悪鬼の形相してるが、明らかにデカい隈のせいだ。 無精髭まで生えてやがる上、顔色だって悪い。
抱き締められてみれば案の定汗臭いわ、キスはいつもの倍は苦いわ、何の公害?勘弁してくれよ。
けれど、同時に、大分御無沙汰だったこいつの…土方のにおい、が、した。
…いやいやいや御無沙汰って何だよ、別にこいつに会わなくちゃいけないとか会いたかったとかそんな事は無い。断じて無い。
まあ、週一とか、割と定期的に会ってたのが、ここ一月ばかりとんと音沙汰が途切れて、 TVにも不自然な位真撰組がらみのニュースが出てこなかったから、何かやってんだろーなとは思っていたが。
まかり間違っても懐かしいとか、つまらなったとかそんな訳ではない。断じて以下略。

あんまりにも苦いキスに抵抗して、顔を固定する手に爪を立てる。強めに舌を噛んでやると、ようやく唇が離れた。
そのまま殴り倒してやろうとしたが、すり抜けるように両腕が背中にまわされて、固く抱き締められてしまった。
思い切り力を込められて流石に苦しい。
自分の鼻先が奴の首筋に当たって、ますます奴のにおいが強くなる。
思わず沸き上がる何かを、否定しようとした、
のに。

ほう、と。

息を、吐かれて。

身体に感じる腕はちっとも緩んでいないのに、確かに力を抜いたと判る、その動作。

まるで、

――まるで、安心でも、したかのような。



なに、に。



己に。



縋られていると。
気付いて、不覚にも顔に血が上った。

なに、なんつー恥ずかしい事をしてんだコイツは。疲れすぎてとうとう頭が沸いたか。 俺に弱みを見せるなんざ、からかってくれと言ってるようなもんだぞ、判ってんのか。
おい、と、たしなめようとしてかけた声は、思いの外上擦って、情けなく掠れていた。
やり場を失った拳から力が抜ける。
仕方なく重力のまま腕を彼の背に落とした。
それだけなのに、彼の気配がまた少し、安堵を滲ませる。
身体を包む温度は、無言で己を欲して密着してくる。

…ひょっとしたら、本当に大した言葉じゃなかったのかもしれない。単にこーするタイミングを窺ってただけじゃねーのかコイツ。 唐突過ぎだってんだよ、
馬鹿、下手くそ。

どうしようもなくなって、何ともなしに目を伏せる。

――自分もなんて、認めない。
彼の体温を、匂いを、腕の力強さを感じたかっただなんて、そんなことは。
無いはずだと思いたいのに、己の両腕は勝手に彼の背に回って、同じように相手を堅く掻き抱く。
鼻先を埋めた肩口から、煙草の匂いに混じって、彼の香りと温度がくらりと脳髄を揺らした。
あとはただ、互いを確かめるだけ。



どれくらい、そうしていただろうか。
ふっ、と土方の腕から力が抜ける。今度は、本当に。
互いの背に回していた腕を降ろす。随分長いこと力を込めていたせいで固まってしまっていたので、殊更、ゆっくりと。
別に、名残惜しいとかそういう事ではない。
密着していた身体が離れる。空いた胸元にひゅうと冷えた風が当たった。そういやこいつは体温が高かったっけ。どうりで冷たく感じるわけだよ。
だから別に、ちょっと残念とか、そういう事ではない。
…はずだ。
肩口に沈めていた顔を上げる。
ほとんど同時だったので至近距離で目が合った。
闇が凝縮したような深い黒色の瞳に、自分が映っているのが判る。
口付けられるのかと思ったが、彼はただ、鼻先が触れるほどの近さから、こちらを見つめるだけだった。
ただ、みている。
まっすぐに。
そう、ただひたすらに、

自分を、みている。

それに気付いた瞬間、どくんと心臓が跳ねた。

そっと、かさついた指先が頬に触れる。
こめかみを撫で、頬を包む。
こつり、と額が合わさる。

肌を、温度を、――存在を、確かめるかのように。


あぁくそ、だからコイツは嫌なんだ。
たまに、こんな風に、
ひどく、まっすぐに、

もとめてきたりする、から。


堪らなくなって、瞼を閉じる。
そこに、ふわりと柔らかい感触が落とされた。
触れるだけの軽いくちづけ。

そして、
それを合図に、かちりと世界が切り替わった。

通りの喧噪が唐突に耳に戻ってくる。
視界には薄汚れた路地裏と転がったゴミ、横にずらせば明るい町並み。
目の前の男は既に何事もなかったかのような顔をして身支度を整えている。
「じゃあな」
そう言った表情には先程までの熱は欠片も残っていない。
あるのは鬼の副長の顔。
「おう」
平静な、それでいていつもの力の抜けた声がするりと出る。
土方はそのまま特に反応もせず踵を返して、そのまま街の雑踏に消えていった。
自分はといえば、ほんの数秒その場に止まった(単に奴と同時に出ていくのがはばかられただけだ)後、

何事もなかったかのように、奴が向かったのと逆の方向へと足を踏み出した。





数日後、攘夷派の大捕り物があったと報道された。
それなりに規模のデカいテロを未然に防いだ手柄は勿論真撰組で、綿密な計画と無駄の無い動きでの成果だと、 珍しく世間から良い評価を下されていた。が、ジャンプを読みながらだったので大して頭には入ってこなかった。

まあ、何はともあれ。

明日くらいにたかりに行くとするか。





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新八視点でふかんぜんねんしょうだったので、銀時視点。

(08.06.26)

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