銀木犀の木の下で 夜。 高くかかる雲の間から、月が凛とした姿を覗かせる。 銀時は、秋の夜道を軽い足取りで歩いていた。 繁華街の喧噪は遠く、同じ歌舞伎町内だというのにしんと静かな住宅街は、しかしあちらこちらの家の窓から明かりと団欒の暖かい気配が漏れ、秋虫の声はすずやかに響き、柔らかな夜の世界を作り出している。 すっかり夏の名残も消えた夜半は少し肌寒い位だったが、満たされた胃袋と程良く入った酒、何より温もりに包まれた心が、それを気にさせなかった。 自然と微笑みに形作られる唇からは今に鼻歌でもこぼれそうな雰囲気で。 「良い夜だ」 歌うように呟く。 そしてふとそこで、柔らかい夜気の中に、甘い香りが混じっていることに気が付いた。 思わず立ち止まり、銀時は鼻を鳴らす。 それはとてもささやかで、ともすれば気付かないような、けれども存在を無視することは出来ない、例えるなら闇夜の中の星明かりのようなもので。 ふらりと足が香りのする方向へ向かう。 初めは何処か澄んだ、清廉な水のような香りだったが、道を行くにつれて、女の肌のように柔らかく優美な香りへと変わっていった。 酒の入った頭が香に煽られて、ぼうっとなる。 匂いが一段と強くなり、近いな、と甘く霞がかった思考の隅で思った時。 「おい、そこの酔っぱらい」 唐突に意識が引き戻され、銀時は目を瞬かせる。 夜の闇を凝縮してさらに深くしたような色の目と髪、同じ色の隊服に身を包んだ男が、目の前に浮かび上がったかのように佇んでいた。 「あっれー、土方くんじゃぁございませんか。何やってんの、サボリ?」 「巡回帰りだボケ。何こんなトコでふらふら千鳥足こいてんだ。不審人物としてしょっぴかれてぇのか?」 「ひっでぇなァ、善良な市民がちょっとした夜の散歩を楽しんでるだけなのによ」 「誰が善良?虚偽妄言の容疑もおまけしてやろうか」 「おーコワ」 ドスの利いた声に肩を竦めて、銀時はからからと声を上げて笑った。 その様子に土方が怪訝そうに片眉を上げる。 「…何か、随分と機嫌が良さそうだな、気味悪ィ。遂に沸いたか?」 「はん、残念、挑発には乗らねぇぜ?今日は銀さん、機嫌が良いのよ。珍しく御馳走だったモンでね」 言うと、土方は目を眇め、 「そりゃ確かに珍しいこった」 特に興味も無さそうに相槌を打った。 「…つーかオメーは本ッ当、甘いモンなら何でも良いのな」 おもむろに、呆れたような声で土方が言った。 視線はすぐ上を向いており、その先には一本の樹、その枝にこぼれんばかりに咲き誇る、白い花。 それが、そう、甘い香りのもとだった。 「んだよ、お前もコレにつられて来ちまったわけ?」 同類じゃねーか、とからかえば、否定するのも面倒なのか、仏頂面で悪いか、と返してきた。 そして、樹を見上げたままぽつりとこぼした。 「…木犀か」 一見はただの常緑樹だが、葉の付け根に指先ほどの小さな花弁の白い花を、まるで葡萄の房のように鈴なりになって垂らしている。 その小さな花から、遠くからでも判るほどの香気を放っていた。 「アレ?でも木犀ってこんな色だっけ?」 記憶にあるものと微妙に違う樹の姿に、銀時は疑問を口にした。 「橙色のか?ありゃ金木犀だろ。コレは銀木犀っつーんだよ」 至極当然のように土方が応え、銀時は珍妙なものでも見たかのような視線を送った。 「…え、何でそんなこと知ってんの。何かすっげー似合わないんですけど」 「喧嘩売ってんのかコラ」 いかにも野暮で無骨そうなこの男が、雅な草木の名前などをそらんずる事が出来るとは。 生憎だがはっきり言って感心よりも不気味さが先立つ。 少々失礼な事を考えながら土方を見やると、彼は何かを思い出すように口に手を当てて、確か、と呟いた。 「…あれだ、本来は雌雄株だけど、日本には雄株しかないとか云う」 「…イヤだから何で知ってんの?何か気持ち悪いんですけど」 「てめーはそんなに俺を馬鹿に貶めてぇのかァ!」 意外なもんは意外なんだよと言えば、脱力したように肩を落とす。 しかしこーゆーのに限ってロマンチスト気取りだったりするんだよなァと、くつくつと笑みがこぼれた。土方が不機嫌に眉を寄せる。 アホらしい会話にも思考にも、つい笑ってしまう。土方の拗ねた様まで妙に可愛く映って、あぁ俺酔ってるな、と銀時は一人ごちた。 ――良いじゃないか。こんな日なんだから、少しくらいいつものノリの羽目を外しても。 ふと思いついて、銀時はむっつりと押し黙った土方に問いかけた。 「んじゃ、こんなんは知ってるか?」 枝垂れるように咲く銀木犀を一房、白い指でつみ取る。 それを、何だ、と向き直った相手の口の中に押し込んだ。 土方は突然の事に反射的に花を吐き出そうとするが、銀時の掌がそれを許さなかった。 口の中に強く甘い匂いと、滑らかな花弁の感触が充満する。 そのままぐい、と顔を引き寄せられ、間近に迫った銀時の企むような、誘うような笑みに、喉まで出かかっていた文句が止まった。 「昔の中国じゃ、木犀を入れた酒を飲んで吐息に香りをつけて、デェトに行ったんだとさ」 にたり、と笑う頬は上気して薄紅く染まり、瞳はとろりと潤んで、その深い色に引き込まれるように視線を合わせる。 触れそうな程近付いた唇からなまめかしい酒の香りが漂い、口の中の花の香と合わさってじん、と体の奥を揺らした。 「…そりゃ、贅沢だな」 誘われるまま、仄かに濡れた唇に、自分のそれを重ねる。 髪に指を、腰に腕を回して、ゆっくりと角度を変えながら、花弁を貪り合うようにくちづける。 上等の酒気と甘い花の香りが互いの口腔で混ざりあい、噎せ返る程の艶やかな芳香が肺を満たした。 どちらのものとも知れない、口端から漏れる呼気すらも、爛熟した果実のように芳しい。 こくり、と花弁と共に唾液を飲み込む。 それは甘露酒のように甘美な陶酔を生み出した。 くらり、と目眩がする。 「甘ェ」 唇を離して低く呟くと、銀時が喉だけで笑う気配がした。 舌を寄せて、土方の含みきれずに顎を伝った透明な筋をぺろりと吸う。そして名残惜しむかのように、キスで濡れた甘い唇までもを猫のように舐めた。 珍しい甘え方に土方が固まっていると、ゴチソウサマ、と囁いてするりと銀時が離れる。 その様子は随分と、楽しそうで。 「…マジで機嫌良いみてぇだなオイ」 「まァな」 揶揄が混じった問いかけにも、ひねくれず素直に答えたくなる位に。 本当に、今日は良い日だったのだ。 ほんの数刻前の事を思い出して、頬が緩む。 朝から子供達がそわそわしているかと思えば無理矢理万事屋から叩き出され、仕方無くぶらりと街へ出れば100円玉を拾い、それを元手にパチンコへ行けば大勝ちとまでは行かずともそれなりに懐が潤い、 同じく勝った長谷川さんからお裾分けを貰った。家へ帰れば案の条というか、可愛らしいパーティの準備がされており、何故かすこぶる張り切った新八の料理や、神楽が苦心したらしいケーキ、更には下の階からも吟醸酒が贈られてきて、なかなかのドンちゃん騒ぎとなった。 美味い料理も食べたし、良い酒も飲めたし、家族達からの真心も貰った。おまけに、 「てめーの煙草臭くないキスも味わえたしな?」 そう言って酷く上機嫌に微笑む銀時に、土方はふ、と相好を崩した。 「…こんなモンで良いのか?」 呟かれた言葉は、呆れたような、けれども何処か慈しむような雰囲気で。 何が、と返すと、その、と少しだけ言い淀んで、ぼそりと付け足した。 「誕生日プレゼント」 は、と思わず口から間抜けな音が出た。 「…、アレ、知ってたっけ?、ていうかお前の口からプレゼントって何かキモいんですけど」 「だから一言多いってんだボケ。…お前な…、その御馳走とやらの材料費がてめーんとこの火の車的家計の何処から出たと思ってんだ」 呆れたように一人ごちる土方に、銀時ははぁ、と生返事を返した。 いやまぁ、確かに豪華な食卓だったけれども、それはてっきり新八が頑張ってツケて貰った結果かと、ていうか何だ、何普通に金出してんのコイツ、 ていうか完全に俺らの財布と化してるけど自覚あんのかコイツ、イヤあんだろうけどよ、ていうかあの宴会もどきががコイツの金由来ならアレもコイツからのプレゼントって事になるんじゃねぇの、 それをこんなモンで良いのかって、何ですか俺はあくまで金銭的支援しただけだとかカッコつけてるつもりなんですかどんだけ気障なんですか、ていうかアレむしろひょっとして自覚ナシ?、ていうか、 この後に及んで、 まだ、なにか、 不意に、どうしようもない感情がこみ上げて来て、銀時はくしゃりと顔を歪めた。 ――心底嬉しそうな、この世の総ての幸福を手にしたような、けれどもそれを受け入れることを畏れるような、憂うような、そんな臆病さを笑うような――様々な感情がごちゃ混ぜになった、表情で。 けれどもからかうような、普段のように土方の神経を逆撫でするような声音で、銀時は問うた。 「…くれんの?」 ――この、酷く幸せな感覚を。 土方はそのことばに僅かに目を見開いた。 そしてしずかにそれを細め、次いでくつりと喉を鳴らした。 「上等だ」 ひどくやさしく、あまい、微笑みを浮かべて、囁いた。 Happy Birthday to G.S ------------------------------ …。 砂吐きたくなるような感じに仕上がりました。 別人でごめんなさい。 三日遅れでごめんなさい。 銀さんお誕生日おめでとう! この時期は家の近所のあちこちから木犀の香りがします。 大抵は金木犀ですが、ウチの庭には白い花をつける銀木犀があります。 銀木犀の方がやさしい感じの匂いがする様ですね。 あ、ちなみに 銀木犀の漢名は 銀 桂 と云うそうです。 …。書けってか。書けってか銀桂。(好きだけど書けないCP) (07.10.13)ブログUP (07.11.11)サイトUP (09.02.26)加筆修正 close |