雪のツバサ


真白い雪が、世界を覆う。
夜闇に侵されぬ純白が、ひらひらと視界を埋め尽くす。

高杉は、船の舳先にじっと、立っていた。
何かを看ているのか、何も観ていないのか。背を向けた彼の表情は見えず、 海風に揺れる黒髪と鮮やかな着物、そしてきりなく降り続く雪以外に、其処に動くモノは無かった。
「晋助」
応えは、無い。しかし万斉は構わず、手に在った上衣を高杉の肩に掛けた。
途端、鬱陶しそうに衣が振り落とされる。
「邪魔だ」
短い言葉には、酷く希薄な感情しか篭っていない。万斉が上着を掛けたという事が、 只、道端に石でも転がっている事と同じ様な現象であるかの様な声音だった。



『あのままじゃ晋助様、風邪引いちゃうッス』
そう言って、帰船したばかりの万斉に上衣を押し付けたのは、半分泣きそうになったまた子だった。
理由を訊けば、自分達の主が先刻から微動だにせず、雪夜に身を任せているという。 どの位、と問うと、雪が降り出してからずっと、と返って来た。
朝から底冷えのする寒さの中、 低く落ちた曇天から堪えきれず溢れ出したかの様に粉雪がちらつき始めたのは、 万斉が未だプロダクションで打ち合わせをしていた頃。
その時は微かながら陽光の恩恵を受けていた世界も、今は星明りさえ届かない闇色に染まっている。
万斉は軽く眉宇を寄せた。
『ならば、おぬしが行けば良かろう』
今日、また子も武市も岡田も、一日船内に居た筈だ。なのに何故、と含ませて問うが、 しかし彼女は怒った様に首を振った。
『馬鹿言わないで欲しいッス。出来るものならとっくにやってるッスよ!…でも、あんな、』
言葉を切って、また子は舳先を見やる。泣きそうな顔を更に歪めて、呟くように言った。

『…あんな、晋助様に、声なんて掛けられないッス…』

暗い闇に、ひとり。
積もりゆく雪に身を任せる彼の姿は、触れれば崩れそうな硝子細工の様に鋭く、危ういのだと。 そんな彼に、自分達は触れることなど出来ないと。

『…何を、考えているんだろうねェ』

遠く虚空を見つめる彼が想うのは、凄絶な絶望に吼える、己のうめきか。それともその先に在る、 彼の師の影か。あるいはこの空の下の何処かに居る、かつての同胞か―――――

言った岡田の表情は、また子と似た様なものだった。しかし其処に更に、 重くのたうちまわる妬みの炎が爆ぜる音が聞こえる様に思うのは、気のせいではないだろう。

―――――その視線の先に、自分達は居ない。
―――――彼の人は決して、後ろを振り向きはしない。

万斉はそんな彼女達を見て、サングラスの奥の瞳を、微かに細めた。

『拙者が行っても、ぬし等が行くのと結果は変わらぬと思うが』
彼が見ていないのは自分も同じ事だ、と言えば、また子がキッと睨み付けて来た。
『そんなの判ってるッス!…でも、それでも、 晋助様に何か言える怖いもの知らずは、アンタ位だって言ってるんスよ!』
そうやって半ば無理矢理、万斉は船首へと押し出された。 途端、身を裂く様な寒さが身体を襲う。
理不尽な、と首を竦めて、手の中の上衣に目を落とした。



振り落とされた上衣を、薄っすらと雪が積もり始めた床板につく寸前に拾い上げ、 万斉は軽く息を吐いた。
今の高杉に何を言っても、てこでも動くまい。
そう判断し、万斉はもう一度、注意深く上衣を高杉の肩に掛けた。 彼の肌にも着物にも極力触れぬ様、そして彼の視界を遮らぬ様に、衣の前を併せ、軽く止める。
高杉はその間、今度は何の反応もしなかった。
やるとなったら何が何でも遣り抜く互いの性質は、互いに承知しているから。
「程々にするでござるよ。そうしていても、雪に成れはせぬ」
ほとんど独り言の様に言って、万斉は踵を返した。

と、同じく独り言の様に、高杉が言葉を漏らした。

「あつい」

聞きとがめ振り向くと、彼は背を向けたままもう一度「あつい」、と言った。

あたたかい、ではなく、あつい、とは。
暖房の効いた室内に在り、また子と万斉の手を経て人肌に温められていた上衣は、 だが一度振り落とされて、再び手に取った時にはほとんど外気と同じ位に冷えていた筈で。

おもむろに、万斉は高杉の手を取った。
氷の様に、という在り来たりな形容のままの、酷く冷え切った手だった。 今日初めて触れる、彼の肌だった。
初めて、高杉が身じろぐ。
緩慢に首を巡らして、万斉と目を合わす。片目を眇めて、視線だけで何だ、と問うている。
それを無視して、万斉はそのまま高杉の指先に接吻けた。
唇で触れた肌は、手で触れた時よりも一層冷たく感じられた。
「―――あつい。はなせ」
低く、高杉が言う。
平淡だが、不愉快そうな声音と、戸惑った様な声音が交ざっていた。
構わずに、つ、と指の腹に舌を這わせると、耐え兼ねた様に鋭く振り解かれる。 それを許さず、掌を掌で捕らえて引き寄せ、また接吻けた。
「―――万、」
「成る程、確かに冷たい」
高杉の尖った声を遮って、万斉は言った。
「拙者の体温は毒であろうな」
だが、と万斉は続けた。

「どんなに冷たくとも、雪よりはあたたかい」

ひくり、と捕らえた指先が震えたのが、触れていた唇から伝わる。
視界の中の青白い肌の上に、ひらり、と純白い雪が落ちて来た。
幾何学的な美しい結晶は、しかし彼の肌に触れた処からじんわりと、その形を崩してゆく。
そして、只の透明な水滴へと変わった。
それを舐めとって、万斉は言った。

「雪に埋もれても、ぬしの想いは雪に成りはせぬ」



高杉は、船の舳先にじっと、立っていた。
虚空を見つめる瞳は、何かを看ている様で。何処かを観ている様で。何も映してはいない様で。
先程と違うのは、肩に掛けられた暗い色の衣。

―――万斉は、掴んでいた手を離すと、高杉が振り解いた拍子に着崩れた上衣をもう一度 併せ直して、そのまま去って行った。

視線を戻した空からは、雪が止む気配も見せず、視界に入っては消えてゆく。
高杉はきり、と唇を噛んだ。


彼、に、触れられた時。
あまりにも違う体温に、肌が、心が、悲鳴を上げた。
―――――彼の掌ですら、火傷を負うかと思う程だったのに。
二度舐められた指先に、視線を落とす。

―――――焼け爛れるかと、思った。

凍えた唇は何も感じなかったのに、きつく噛み締めた唇からぬるりとした感触がして、 それが燃える様にあつくて、呆然とした。

(折角、雪に成りかけてたってのに)

成りかけていたと、思えていたのに。
自分の中を流れるモノは、どうしようもなく高い温度を持っていて。

…想いだけは雪の様に、この胸に落ちるのに。
その想いは決して溶けはせず、積もってゆくのに。
何故、冷たくならないのだろう。
心も。身体も。 凍りつかせれば良いものを―――――

(溶かしやがって)

決して凍える事は無いのだと、何故気付かせた。


高杉は、あつく脈動を続ける胸元を堅く握り締めた。
手に触れた上衣は、今はもうすっかり外気と同じ位冷えているのに、 握り締めた先から彼の熱が伝わって来る様で、手を離す。
脱ぎ落とせば良いものを、それすらも出来なかった。





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あとがき
アニ銀第三期EDの、 後姿でぽつねんと突っ立っているあの高杉にものっそいきゅんと来て思いついた話
ちょ、周り誰もいないの、独りぼっちなの高杉、と思ったらこんな話に成ってました

万斉は我が道を行くひとだと思います 銀さん張りに
だから例え高杉が感傷に浸ってようが、また子や岡田がもやもやしてようが、 言いたいことや遣りたいことをずけずけずばずばしちゃう人だと思います
高杉にはそういう人が必要だよね、と言う話
方向転換させてやる人がいないといけないよ彼には
攘夷時代はそれが桂や銀時や坂本だったんだろうけど
今の彼にそれが出来るのってマジな話、万斉しか居ないよなあ…

歴代銀魂EDではコレが一番好きです
全てのキャラクターをイメージさせる歌詞だと思う

(07.07.15)

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