季節の変わり目は朝晩の冷え込みに気をつけろ 「風邪、ねぇ…」 眼前でひゅうひゅうと苦しそうに息をしながら眠っている「子供」をしげしげと眺め、銀時はなんともなしに、片手に抱えた手桶を中の水をこぼさないように持ち換えた。 依頼だ、と不機嫌そうな声で、子供の上司が万事屋に電話をかけてきたのは早朝。曰く、ガキがぶっ倒れたので、薬の調達と、出来れば看病を頼みたいというものだった。 「ガキって…沖田君がかぁ?明日は槍でもふるんじゃねえの」 「否定は出来ねえな」 大して面白くも無さそうに、電話をしてきた相手――土方が相槌を打つ。 「っつーか、何でウチ?ジミー君にでもさせりゃ良いじゃねーか」 「…こっちは今誰も手が離せねえんだよ。山崎の野郎も出払ってやがるし・・・アイツがおとなしく看病させる人間っつーと、てめえ位しか思い浮かばなかった」 てめえにゃ随分と懐いてるみてえだからな、と続けられ、そりゃどうも、と返す。喜んで良いのか否か悩む内容ではあった。 土方は、で、受けるか受けねえのか、と問うてきた。 「わーったよ。但し、高くつくぜ?副長さん」 「…っち、好きにしろ」 苦虫を数匹ほど噛みちぎったような声だった。 万事屋の子供二人に留守を預けて、ふらりと街へ出る。懐につっこんだ紙切れに電話から走り書きしてあるのは、いくつかの生薬の名前。薬と云って何を持ってこさせるのかと思えば、指定されたのは漢方屋だった。俺の名前を出しゃ話は通じる、店の方にも連絡は入れておくと言われて、明るい町並みから少し外れた場所にある、古くさい店の暖簾をくぐる。 独特の香りが立ちこめる店内の奥、はげ上がった無愛想な店主が「土方さんのお使いの方ですね」と、既に用意されていたらしい風呂敷包みを差し出してきた。本当に常連らしい。 お使いっつーと何か腹立つなあと思いながら、軽く中身を確認して受け取った。 店主にお大事に、と声をかけられながら店を後にする。 真撰組屯所、と掲げられた堅苦しい門を通り抜ける。見たことがあるような無いような平隊士が、こんにちは、お疲れ様です、などと挨拶してくる。屯所は閑散としていて、人はまばらだった。随分と自分に対する信用があるものだと思いながら、適当に捕まえて依頼主のいる場所を聞く。 こちらですと案内された部屋――副長室、と書かれている――の前でふーくちょーうさーんと声をかけて、遠慮なく戸を開いた。むわりと鼻を突くのは煙草の煙。うず高く積み上げられた書類やら資料やらの間から、土方が顔を出した。 「おう、来たか」 立ち上がった土方は、仕事中らしいにも拘わらず、黒の単衣というラフな格好をしていた。 こっちだ、と誘導されてそれについていく。 「お前、漢方は分かるのか」 「あ?あー…まァ、少しなら」 今でこそ科学的なものが主になっているとはいえ、まだ昔ながらの薬や治療法は民間の中に根付いている。 銀時もまだ幼い時代、うっかり風邪を引いたりしたときは煎じ薬を作ってもらった覚えもあるし、そもそも戦時中はまだ天人の恩恵に預かれるような状況になかったので、必然的に薬と云ったらそういったものだった。 ぼんやりとそんなことを思い出しながら歩いていくと、いつの間にかこぢんまりとした部屋に通されていた。 部屋の中には引き出しのついた棚がところ狭しと並べられ、中央にはくつくつと湯気を立てる鉄瓶が火にかけられている。周囲には刃物やら椀やら用途のよく分からないものやら、道具がいくつか置いてある。 何かどっかで見たような、と思ったら、先日TVで観た万と万千代の神隠しの、腕がたくさん生えたじーさんの居た部屋に似ているのだと気付いた。 「頼んだのは足りなくなってる生薬だ。引き出しんとこに見出しが付いてっから、その中に補充してってくれ」 言いながら、土方はがさごそと棚を漁っている。入ってみると、彼の煙草の臭いもかき消すほどに、先ほどの漢方屋と同じ独特の香りが満ちた部屋だった。 「…お前って、薬屋だったっけ?」 「実家がそーゆー系を扱ってるってだけだ。俺もマトモに学んだわけじゃねえ」 どこからか取り出した和綴じのノートのようなものをぱらぱらとめくりながら、土方が応えた。ノートには様々な方剤のことが書かれているようだった。 生返事をしつつ、銀時は風呂敷の中身を広げる。 「お、棗じゃん。食って良い?」 「阿呆、一応薬用なんだよ。止めとけや」 目当ての方剤の頁を見つけたのか、ノートを開きながら土方が棚の中から生薬を取り出していく。頁にはメモのようなものが挟まれていて、小さく総悟用、と書かれているのが目に入った。 「何、お前いつもアイツに薬作ってやってんの?」 「たまにだがな」 あいつらは昔から、揃って身体が強くなかった、と呟く。 複数系の片方を指すであろうかの人を思い浮かべ、銀時はへえ、と相槌を打つにとどめた。 「季節の変わり目になるとな。ちょっと油断すっとやられんだよ、アイツは。…ここんとこ無かったんだがな」 今は初秋だ。朝晩が冷え始める時分、腹でも出して寝たのだろうか。 あの子供がそんな間抜けな状態になるとはなかなか考え難いが。 「入れ終わったぞ」 「おう、じゃあ総悟んとこ行って、様子見てきてくれ。薬湯が出来たら持っていくから、何か食えそうなら食事と、汗かいてるはずだからその辺の世話も頼む」 「…はいよ」 この男から頼む、などという言葉をこうも簡単に聞けようとは、と銀時は妙な気分になりながら返事をした。 寄ると触ると険悪な雰囲気になりがちな自分たちが、穏やかとは言わないまでもそれに近い形で会話している。まあ子供が倒れていることも含めて、非常事態と言うことだろうか。 そんなこんなで今、子供の部屋の前に立っている。 屯所には本当に人が居なくて、台所に行くにも少々手間取った。こんな時、地味な彼が居ると違うのだろうなあと思う。 とりあえず軽い食事の用意をして、隊士の一人に火の番をさせ、自分は子供の様子を見に来てみた。 彼自身にあてがわれているらしい部屋の中、布団の中に横たわっている子供の顔は熱のせいか赤く、漏れる息はぜ、とお世辞にも健康とはいえない音を出していた。 いつもつけている人を馬鹿にしたようなアイマスクもしていない子供の顔は随分と幼く見える。 音を立てないように襖を閉めて、子供の枕元に膝をつく。右手で彼の頬に軽く触れてみると、思ったより熱かった。確かにこれは辛いかもしれない。ずり落ちていた氷嚢も温まっている。ひたりと掌で額を覆ってやると、苦しそうに寄っていた眉がふにゃりと緩んだ。 ぴくりと睫が揺れる。しまった、起こしちまったか、と思って手をどけようとすると、 「…じ、かた、さ…?」 お、と軽く目をみはった。とっさのことに固まっていると、冷たい手が心地良いのか、子供がすり寄るように頭を押しつけてきた。頬に掌を移動してやると、安心したように息を吐く。同じく火照った、自分から見ればまだ細っこい指が、縋るように手に添えられた。 ――珍しい。とても、珍しいものを見た気がする。 甘えてんのか、これ。 この子供が上司である男の名前を呼ぶときなど、相当シリアスな場面でもなければ、からかうだとか、遊び半分に命を狙うような時の声音しか聞いたことがなかったので。 随分とまあ、こどもはこども、というか、…可愛らしいものを、見た。 思わず口元が緩んでしまうような、そんな。 うりうりと頬をつついてやる。 「……?」 流石に耐えかねたのか、うっすらと子供が目を開けた。熱のせいかぼうっと潤んでいる。 「だ、れでぃ…」 (あらら、一気に警戒心むき出しか) 何だかなと思いながら、ぺちぺちと頬を叩いて視線を合わせる。 「起きれっかァ、沖田君」 「…、だん、な…?」 見開かれた瞳に、ようやく銀時が映った。 驚いたように子供が身を起こす。しかしそのままふらりと身体が横に傾いでしまった。とっさに支えてやると何とか踏みとどまって体勢を立て直した。 「あーあー、無茶すんなって」 「な、んで…」 「お宅の副長さんからの依頼でね」 土方の名前を出した途端、子供はは、と気づいたように固まった。そして恐る恐る問うてきた。 「…おれ、何か寝言、言いやしたか…」 自覚はあったらしい。ついでに言えばやはりというか、あまり見られたくないことだったらしい。 「さあな。とりあえずあいつは今、薬作ってるぜ」 それだけで色々と理解したのか、子供はせっかく起き上がったその体勢から前のめりに突っ伏してしまった。 あー、と唸るような声がする。耳が随分と赤いのは、熱のせいだけではないだろう。土方さんをついに亡き者にする夢を見てやした、と微笑ましいのかそうでないのか分からない言い訳をもぐもぐさせている。 ぽふんと頭に手を乗せてやると、微妙に縮こまってしまった。 「おら、タオル。自分で拭けるか?」 出来ないなら俺がやってやるけど、とからかい混じりに言うと、むっすりとした顔で差し出した蒸しタオルに手を伸ばした。 この子供が、こうも子供らしい顔をしているのを見ることが出来るとは。 ゆっくりではあるが寝間着とシーツを取り替え終わった頃、火の番をさせていた隊士が気を利かせて食事とお茶を持ってきた。洗濯物と引き替えにそれらを受け取る。 食えそうかと問うと、こくりと頷いたのでそのまま渡してやった。 土鍋の蓋を開けると、良い感じに出来上がった粥が顔を覗かせた。あの隊士を見込んで正解だった。 「…コレ、旦那が作ったんですかぃ」 「おうよ。俺特製卵粥だ、有り難く食えや」 役得だなァと、割と本気で嬉しそうに子供が言った。一口口に運んで、ほんとに美味いや、と素直に笑う。 そうかい、よく噛んで食えよ、と言ってやれば、へーいと返事をして、これまた素直に口を動かした。なんだこの小動物は。 土鍋の中身が残り四分の一くらいになった頃、別の隊士が控えめに失礼します、と襖を開いた。手には椀があり、臭いから薬湯だろうと知れた。それを副長からです、食後に飲むようにと、と言付けと共に預かる。とろりとした茶色の液体は、まあ、美味くはなさそうなものだった。 副長さんはどうしたの、と聞くと、すぐに仕事にお戻りになりましたと返ってきた。――思った以上に忙しかったらしい。隊服に着替える暇もなかったのだろうか。 子供がぼそりとこぼす。 「…俺がこうなったせいで、色々予定が狂ったんでさあ」 過労死しちまえざまーみろ、と言いつつ、表情はばつが悪そうだ。そりゃ願ったりだなと相槌を打ってやると、少しだけ笑顔になった。 「食後っつたな。全部食えそうか?」 「…すいやせん、ちょっと…限界かも知れねえです」 「あー構わねえよ。冷めても美味えから、また後で残り食え」 「…ありがとうございやす」 まあ、決して少なくない量を作ったのだ、これだけ食べられれば十分だろう。 じゃ、次はコレだなと薬湯を手渡してやると、子供は微妙な顔をしてそれを見下ろした。 「…何で美味いもん食った後にこんなもん飲まなきゃならねーんでぃ…」 ぶつぶつと愚痴りつつ、しかし薬湯に口を付ける。 苦いのが嫌なら別の薬にしてもらえば良いんじゃねえの、と言ってみる。しかし子供は、一度軽く目をみはった後、ちょっと困ったような、不本意そうな顔をして、ぽつりと呟いた。 「…コレでいーんです」 こくこくと飲み干していく様子は、不味いものを口に入れることに慣れているように見えた。一度や二度ではないのだろう。 そして科白から察するにどうやら、本当に効くらしい。 ほとんど一気に飲み干して、子供はふーと息を吐いた。 同時に、満腹になったからか、目がうとうととし始めている。 そろそろ寝るか、と聞いてやると、眠さを隠そうともせず頷いた。もそもそと自分から横になったので、布団を掛けてやる。もう一度ありがとうございやす、と言われた。 すぐに瞼が重くなって来たらしい子供は、夢うつつの様子で不意に呟いた。 「…煙草臭く、なかったんでさぁ…」 「…ん?」 ほとんど眠りかけている、あまり呂律の回っていない声で。 「だから、…誰だコノヤローって、思った、んでさぁ…」 そのまますとんと落ちるように、子供は寝てしまった。 普段からは想像もできないような、素直さを残して。 たんたん、と足音が聞こえてきたのは、子供が寝入ってしばらくした頃、子供の寝息が大分落ち着いてきて、もう大丈夫だろうと思った頃だった。 静かな足音だった。足音は段々と近づいてきて、部屋の前で一度止まる。音もなく襖を開けたのは、やはりというか土方だった。 「寝たか」 子供の様子を見て、一言漏らす。そのまま遠慮なく、けれど静かに、子供の枕元までやってきてしゃがみ込んだ。 そして、銀時がしたように、掌を子供の額に乗せた。 「…多少は下がったか」 ほっとした様子を隠すこともなく呟く。 「飯は食えたのか」 掌はそのままに、振り向いて土方が問うてきたのに、少々面食らう。 「、ああ、着替えさせて、粥食わせたけど」 応えると、土方はそうかと言って、視線を子供へと戻した。 汗で張り付いてしまった栗毛を払うように、大きな手が子供の額や頬を撫でる。まるで、というか、弟を世話する兄そのもののような、穏やかな横顔。 唐突にああ、何か違和感があると思ったら、煙草をくわえていないのだと気付いた。病人の前だ、当然と言えば当然なのだが。けれども、吸っていなくとすれ違っただけでも分かる位、この男には煙草の匂いが染み付いている。掌など特にそうだろう。 …それでも、子供が弱っているときに縋りたかったのは、これだったのだろう。 妬けるねえ、と詮無いことを思う。看病したのはこちらだというのに、と。同時に、可愛いもんだ、とも思うのだが。取り留めもなくそんなことを考えていると、土方が不意に助かった、と言った。 「風邪とはいえ、こいつが人前でマジ寝するなんざ、そうあることじゃねえからな」 大分てめえに懐いてるみてえだから頼んだんだが、正解だったか、と続けられる。 またもどう反応して良いか分からないことを言われ、言葉が出ずにいると、もう一度助かった、礼を言う、と言われた。 …風邪の時とは、本人だけでなく周囲の人間にも影響を与えるものらしい。 こそばゆさを隠すように、銀時は頭をかいた。 「あー…まあ、なんつーか、このガキにもけっこー可愛いトコがあるんだなァー、って感じかね」 「そうだろ」 「………………………………」 「んだその沈黙は。てめぇんとこのチャイナだって似たようなもんじゃねえか」 「そりゃまあね。…っていやウチのコの方がもっと可愛いっつうの」 「言ってろ」 ------------------------------ 保護者二人(親ばか)と風邪っぴきの子供。 うちの沖田は土方お兄ちゃん大好きです。 一応ほんのりと土銀根底…のつもり。 (10.10.17) close |