アンダー・クロック・オブ・ナイト


 きしり、と枕元が沈んだ。うっすらと瞼を開くと、ごく近くに、いつもは金色のプラスチックで覆われている茶色の瞳があった。
「…なに?」
 絞られた照明の中、視線を合わせて問う。眠りかけていた喉から少々掠れた声が出た。
「…起こしたか」
 少し申し訳なさそうな気配を滲ませて、頬に指先が触れてきた。そっと触れてくるだけのそれにすり寄るようにしながら、緩く首を横に振る。
「んー、まだ寝てなかった」
 初めよりははっきりとした声音になったが、眠気に誘われているときの緩慢な仕草はそのままになってしまった。
 明らかに眠いと分かるだろう。そうか、という呟きには微かに苦笑の色が窺えた。
 体をゆっくりと横にずらすと、静かに違う体温が布団の中に滑り込んできた。自分の体温で暖められた寝具の中にひやりと冷気が入り込んできて、しかしすぐにそれよりも暖かい温度が体を包んだ。
 肩の両側に肘を突くようにして、彼が覆い被さってくる。先程から続くよう頬を撫でられた。今度は手のひらで包まれるように愛撫され、心地よさに目を細める。耳の裏を軽く擽られ、首筋を辿られる。くすぐったさに首をすくめてくすくすと笑った。
「おそうの?」
 笑いながら聞けば、呆れたような溜息と共に唇が降ってきた。
額に、頬に、瞼に。あやすような軽い口付けに、覚めかけていた眠りがぶり返してくる。
 触れてくる体温にうとうととしながら、甘やかされてるなあ、と思う。子供を寝かしつけるような慈愛と、宝ものでも扱うかのような繊細さで、彼は触れる。
 いくら彼に比べ若造であるといっても、自分とてもう良い歳をした成人男性なのだから、時々む、と思うことはある。しかし決して厭なわけではなく、むしろ嬉しいと感じてしまうのだから自分も大概である。
 ああ、でも、と思う。
 もうちょっと乱暴に扱ってくれても良いのに、とも思うのだ。
 そんなにおそるおそる触れてこなくたって、そう簡単に壊れたりしないのに。
 拒絶したりしないのに。消えたり、しないのに。

 …彼が優しく触れてくる度に、どこかで物足りないと思ってしまう自分がどうにも卑しい。
 彼が自分を受け入れてくれたことが、そして同じ想いを向けてくれているということが、既に自分にとっては奇跡にも等しいことだというのに。
 けれどもふとした瞬間、どうしようもなく欲しくなる。
 彼の手が。視線が。熱が。
 なによりこれ以上無いほどに求めて欲しい。
 彼からただひたすらにまっすぐに、求められたい。――想われたい、かの人、の、ように。
 そんなことは夢物語だと知っている。ただのエゴの押しつけだとも知っている。彼のかの人に対する想いは不可侵のもので、端から見ているだけの自分ですら、一途すぎてうつくしいと思うもので。俗な感情で汚して良いものではないのだということも、分かっている。
それでもほしい、と願ってしまう自分が浅ましくて厭になる。
 こんな想いを、彼に知られたくはない。いっそ知って欲しいのかもしれないけれど、その後の代償を考えるには、今与えられる暖かさは手放し難すぎた。
 そんな考えに囚われている間にもゆるい愛撫は続いていて、何だか少しだけ泣きたくなった。
 けれどもようやく、最後だとでも言うように、小さな音を立てて眉間にひとつ口づけを落とされた。
 そうして、自分の上から体温が離れていく気配がした。
 ――だめ、
 ぼうっとしていた意識の中、彼が離れていくのが嫌で、とっさに手を動かした。
 彼の寝間着にすがるように伸ばした手に力を込める。
 どうした、と問われる前に、ぽろりと想いがこぼれた。

「もっと」

 口をついて出た言葉に自身で驚いて、思わず目を見開いた。
 しまった、と思う。
 思った以上に物欲しそうな声が出てしまった。
 何より、間近で交わった彼の瞳の中に映る自分の表情が、それを如実に語っていて――そして、それによって、彼の目にゆらりと、火が灯ったのが分かった。
 すう、と彼の目が細められる。
 あ、と思ったときには、唇が塞がれていた。
 先程の啄むようなものではない。こじ開け、絡め取り、奪うような。半開きだった口から容易く進入されて、深く熱が混ざりあう。ん、と漏れた声の甘さに自分でも呆れてしまう。
 近すぎてほとんどぼやけてしまっている彼の目は、しかし完全にその色を変えていた。情欲に彩られたその色に、そくりと背を駆けたのは何だったか。

 ああ、でも、と思う。
 この男にこんな表情をさせているのは自分なのだ。こんな表情を見せるのは、自分だけなのだ。
 普段誰よりも、仕事に対して己に課した使命を全うすることに邁進している男が。
 今はただ、自分を求めている。今は。――今だけは。
 仄暗い悦びが、じわりと身の内を満たしていく。

 なあ、今だけは、
 俺だけを、みてよ。

 徐々に深くなっていく交わりに身を委ねながら、ひっそりと笑った。





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いちゃいちゃなぴろーとーく的なものを書きたかったはずなのに
気付いたら有楽町が若干やんでれになった

(10.09.30)

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