秘密部屋





「陛下が居ない?」

執務室で書類を整理していると、例によってガイが困り果てた顔で泣き付いて来た。
   如何やら彼がブウサギの散歩をしている間に何処ぞへトンズラしたらしい。

「目ぼしい処は全部回ったんだ。あとは此処だけだったんだが…」
「残念ですが、今日は未だ来ていませんよ」

答えると、ガイはそうか、と肩を落とし、頭を抱えた。

「本当に全て探しましたか?」
「つったってなあ…宮殿と、軍部と、旦那の処と…あとは城下町くらいしか…」
「少なくとも街には出ていない筈ですよ。御忍びセットが其処に在りますから」

ジェイドが指で示した先は、ピオニーの私物が散らかっている一角。カオスの中に、 何時も彼が『御忍び』に使っているフードやら財布やらが転がっている。

「……旦那、そのぅ……」

おずおずとガイが何かを言いかける。ジェイドは苦笑してその先を言った。

「…判りました。探しましょう」

ほっとした表情になったガイを見て、随分と『陛下探し』に信用を置かれたものだ、と思いながら、但し、とジェイドは付け加えた。

「私の仕事が滞るのは避けたいので、ガイ、貴方、其処の資料を種類別に分類しておいて下さい」

机と床に積み上げられた大量の紙束に、ガイの頬が引き攣るのを見届けて、ジェイドは部屋から出て行った。



どうもこの城の者達は、皇帝のお守りを自分に押し付けている節がある事が否めない、と考えながら、宮殿の長い廊下を歩く。
ガイが来る前はメイドやフリングスが執務室に泣き付いて来たものだ。事実彼は大抵突拍子も無い処に居て、自分を呆れさせる。

取り敢えず初心から、と考え、皇帝の私室へと向かう。
部屋の掃除をしていたメイドが控えめに、陛下はいらっしゃいませんが、と言うのに構いませんよ、と返して、奥の部屋へと入った。
油断はしない方が良い。彼は軍人の自分が感嘆する程、隠れたり気配を消したりするのが上手いのだ。
扉を閉めるとネフリーやサフィールが寄って来て、鼻を摺り寄せて来る。主が居ない事が不安なのか、妙にブウサギ達が落ち着いていない様子だ。
注意深く室内を見渡すが、人の気配は無い。試しに陛下、と読んでみたが、返事も無い。
はずれか、と踵を返しかけてふと、豪奢な部屋の隅で、ブウサギが一匹何やら必死になって何かしようとしている事に気が付いた。

「如何しました、ジェイド」

自分と同じ名前を呼ぶ事に違和感を覚えながら話し掛けてみる。
ジェイドは、何やらカーテンの奥の壁をかりかりと引っ掻いているらしかった。
ブウサギに爪研ぎの習性など無かった筈だが、と考えながら、壁が痛むのでジェイドを引き剥がす。ぶうぶうと抗議の声をあげて、じたじたとブウサギが暴れた。
その様は、壁を引っ掻きたいと言うより、この壁の先に行きたい様に見えた。

「…何か在るのですか」

壁の一角を観察してみるが、見た目に特に変わった場所は無い。しかし、軽く叩いて行くと、僅かに音が違う場所が在った。
あちこち弄ってみると、やがてカタン、と壁の一部が人一人が通れる程の大きさに外れ、その奥には、戸の様なものが。 動かしてみると上にスライドし、其処から眩しい外の光が差し込んだ。

「………何時の間にこんなモノを………」

そう呟く他には声も出ず、呆然とする。
少なくとも無かった筈だ、彼が即位した頃には。

身を乗り出して下を覗いてみるが、誰も居ない。横を見ると、手作りの足場らしきものがあった。
そのまま斜め上に視線をずらすと、青色の衣が目に入る。首を巡らすと、見慣れた金色の髪が見えた。

「へーいーかー?」
「…見つかっちまったか」

よっこいせ、と歳よりの様な台詞を言って、ピオニーが起き上がった。

「お前もこっち来いよ、ジェイド」

文句言う前に満面の笑顔で先手を打たれ、逆らう事も面倒で、ジェイドは仕方なく桟に足をかけた。

上がってみると、其処は丁度建造物の間で、外からは死角になっていた。
しかし陽が程良く当たっており、成る程、昼寝には絶好の場所である。

「何時の間にこんな事をしていたんです、貴方は」

先程一人ごちた疑問を、限りなく冷えた声で言ってやる。
ピオニーは気にした風も無くからからと笑って答えた。

「一年位前だな。因みに俺の自作だ」

…つまり勝手に宮殿の壁をブチ破り、窓と言うか戸をつけ、外に寛ぐ為の足場まで作ったと言う事か。しかも一人で。
深く深く溜息を吐くと、彼は可笑しそうに更に笑った。

「お前、先刻まで軍部に居たろう」
「…ええ、今日は私が指導役でしたので。――其れが何か」

問うと、ピオニーはにっ、と笑って言った。

「此処からは軍部が見えるんだ。だから作った」

秘密事でも打ち明けるように言う。

「お前が見れるからな」

指差した方向を見ると、確かに訓練場が見えた。

「…其れだけの為に、ですか?」
「そうだが?」

溜息を吐くのも勿体無い気がしてきた。この馬鹿は。
お前失礼な事考えてるだろう、と心外そうな声で彼が言う。

「別に良いだろ、息抜きくらいさせろよ」
「コレが息抜きの範疇に入るかどうか甚だ疑問ですが。 …息抜きをするなら、せめて私の執務室までに留めて下さい。そうすればガイ達の疲労も少しは少ないでしょうに」

言うと、彼はそっぽを向いて返した。

「お前が居ないのに行ってもつまらん」
「…何拗ねてるんです」

呆れた声を出すと、彼が更に拗ねた様に言った。

「如何してお前が一日城だの軍部だのに居るのに、会えない事がなくちゃならん」
「仕事で数日会えないだけで拗ねられては困りますねぇ。私が旅に出たりした時は如何するんです」

「会えない時に会えないのは仕方が無い。だが会える時に会えないのは我慢出来んな」

「………、」

そしてピオニーはおもむろにジェイドの腰を抱き寄せて、肩口に顔を埋めて、続けた。

「お前が居る処が、俺の休み場所だからな」

大型犬の如く、頬を摺り寄せてくる。ジェイドを確かめる様に抱きついたまま。
抵抗も出来ず、仕方が無いのでジェイドはその金髪に指を通して、あやす様に、軽く叩いた。





「…では私に会えましたから、休憩は終わりにしてさっさと仕事に戻って下さいね」
「うげ」










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