遣らずの雨





土曜日の午後から降る雨は、午前中よりも少しだけ下がった温度と、少しだけ薄暗い空。

「…どっちつかずだな」

土砂降りでもなく、小雨でもない空を見上げて、四月一日は難しそうな顔で呟いた。
学校帰りに降られた雨はしかし、いっそ濡れて帰ろうかと云う程には強くなく、殆ど濡れないと云う程弱くもなく。
取りあえず最寄りの百目鬼の家へと駆け込んだ。

「おい、此で拭け」

そう言われながらタオルが投げ渡される。
だから何で命令形なんだ、と文句を垂れながら(叫びながら?)も、四月一日は大人しくタオルを受け取った。

「傘、貸すか」

ぶっきらぼうな口調で百目鬼が問う。

「あー、いらねぇよ。此の位ならすぐ止むだろ」

応えると、百目鬼はそうか、とだけ言って、そこで会話は途切れた。



しとしとと静かに、庭に降る雨。
雲の薄い処から、まだ高い筈の太陽の光が、まるで一枚のフィルターを通したかの様に辺りを照らし、明るくもなく、暗くもない空を創っている。

(こういう雨は、好きだな)

ぼうっとしながら、四月一日は思った。

雨、とは総じて陰の気が集まり易いモノだと侑子が言っていた。
実際、雨の日はよく、出てくる。
けれどこんな、陽の力が残っている時の雨は、奴等も活発ではない。

(まあ…此奴が居るからってのも有るんだろーけど)

ちらりと百目鬼を振り返ると、ただ無言でお茶を啜っていた。
其れが妙に勘に障って、けれど何か文句を言う材料も見つからず、四月一日は無理矢理外へと意識を戻した。





百目鬼はふと、読んでいた文庫本から目線を上げた。
四月一日は先程から、卓に肘をついてぼんやりと外を眺めている。
其の横顔は何かを見ているのか、それとも何も見ていないのか。
焦点が何処にあるか掴めない瞳。

「何か、視えるのか」

声を掛けると、ぴくりと躯が揺れた。

「視えるのか?」

もう一度、繰り返す。
我に返った四月一日は、百目鬼の云わんとする事を理解して一瞬、複雑な表情になった。

「…るっせーな、視えねぇよ。…大丈夫だ」

其の顔がかなり不本意そうで、だがそこから言っている事は事実なのだろうと思った。

「こういう日は視え易いんじゃなかったか?」
「視えねーっつの。まだ太陽の光が射してるし」

それに、と四月一日は続けた。

「お前も、居るし」

百目鬼は僅かに目を見張った。

「………ッ!あ、いや、此は………」

四月一日は言った後で失言に気付いたらしい。
否、あくまで彼にとっては失言であって、自分にとっては誉め言葉に入るだろうが。
しどろもどろに弁明をしようとする四月一日を見て、百目鬼はようやく珍しい事を言われたショックから立ち直った。

「…そうか」

其れだけ言って、おもむろに腕を掴んで、引く。
勢いで卓が揺れて、かたりと湯呑みが鳴った。

「うわっ」

肩に手を回して、腰を引き寄せて、後ろから包む様に抱き込んで。

「おい……っ」
「なら、」

そのまま、耳元で囁いた。



「もっと、視えなくしてやる」










目が覚めると、外は既に暗くなり始めていた。

「……雨、止んでねえし」

さあさあと降る雨は、先程より少し強くなっているようで。
気だるい躯を起こして、四月一日は上手く出ない声で呟いた。
傘借りていけば良かった、と思っても、既に遅いも通り越して意味が無い。
脱ぎ散らかされた服を動かない身体を引きずって羽織る。
鈍い痛みと、視界に所々入る紅い痕に、盛大に顔を顰めた。


「起きたか」


からりと襖が開いて、百目鬼が入ってきた。
怒鳴りつけるのも億劫で、四月一日は差し出された水を引っ手繰るように受け取る。

「帰るか」

問うと、ひねた様にそっぽを向いて応えた。

「・・・・・・・・・・・・うるせえ」

雨は止まず、身体も動かない。
表情は見えないが、ぶすくれた顔をしているのだろう。
百目鬼はそうとは判らないほどに小さく笑みを浮かべて、四月一日を引き寄せて、抱きしめた。

「おま・・・っ、もうやらねえぞ!」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「おい、黙んな!」





「帰るな」




僅かに腕に力をこめて、低く、百目鬼が言った。










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